院長ブログ(No.179人生100年時代?)|大阪のがん免疫療法(免疫細胞治療)緑地公園駅 内科 北大阪メディカルクリニック

院長ブログ

No.179 人生100年時代?

2022年12月13日

最近、「人生100年時代」という言葉を聞きます。ですが、自分の人生を考えたとき、“後40年生きる” と思うと少し疲れます。社会人になって30数年ですが、今までのこの長さよりももっと長い人生がまだ残っているかも、と思うとちょっと疲れます。
既に、色々な能力が落ちてきていることは実感できますから、「40年後には一体どうなっているのやら?」と不安が先に立ちます。視力も落ちた、体力も落ちた、記憶力も落ちた、気力も落ちた。今ですらこんな状況なのに、40年先と考えると気が滅入ります。

長生きが良いと思っている人は一体どれほどいるのでしょうか。勿論、自由に街を歩けて、頭もすっきりと切れ味鋭く、ウィットに富んだジョークなんかも言える。ピアノを弾いても指はなめらかなタッチで動いて、お洒落心もあるというのであれば楽しいでしょう。しかし、以前できたことができなくなることを実感しながら生きて100歳を迎えるのが素晴らしいと思っている人はどれ程いるのでしょうか。
自律して100歳なら素敵ですよね。しかし、色々なことができなくなり、人の助けを受けなければいけない状況になっても生きていくのがすばらしいことなのだろうかと自分が歳をとると思います。

6年程前ですか、作家の佐藤愛子氏が『九十歳。何がめでたい』を上梓され、一時話題になりました。大過なく歳を取ることができれば確かに喜ばしいことだと思いますが、自分で自分の事ができなくなって、ご飯を食べさせて貰って、おむつを替えてもらって、ほぼ寝たきりで歳をとるのは本意ではないのです。

人は、というか、生き物は「老い」ます。病気ではなくても、「老い」ます。身体の自由が利かず思い通りに動けなくなり、今、何をしようと思っていたかすらわからなくなり、ものの名前が出てこなくなります。これは「老い」であって病気ではありません。

歳を取って食事が細くなるのも人生の終焉を迎える準備であり、食べないからと心配しなくてもいいと思います。仮に食が細くなるのが病気によるものであったとしても、それは自然が与えてくれた穏やかなendingへの道だと思います。

以前、緩和医療の医師が、「最期が近い人には一日の補液はするとしても500mlで十分」と仰っていました。当時、補液は1000~1500ml、高カロリー輸液が一般的だったと思います。しかし、確かに今思えば、身体が “要らない” といって食が細くなっているのに、その身体からの訴えを聞かずに点滴をしたり、胃瘻を作ったりというのは、かえって身体に負担をかけていたのではないかと思います。

以前勤めていた病院でのこと。あるご高齢のお母さんの息子さんが「胃瘻を作らなくても入院させて貰えますか」と聞いてこられました。私は、将来取り除ける可能性が低いのに胃瘻を作るのは賛成ではありませんでしたので、「いいですよ」と言いましたころ、「今まで、胃瘻を作らないと入院できないといわれた」と、とても喜んで下さったのが印象的でした。

それよりもっと以前のこと、ある病院で回診をしているとき、8人部屋の大部屋で、時間になると胃瘻の管が一斉につり下げられている光景を目にしたことがあります。誰もものは言えず、自力では体位変換もできない。お名前を呼んでも目は開かず、じっと胸元を見ていると少し胸が動くことで「ああ大丈夫」と確認する。肋骨が浮いているので、聴診器をあててもうまく音を拾えない。衝撃でした。命の尊厳を考えさせられらものです。
しかし「胃瘻をつくれば長生きできるのに、それをしないのは良くない」というような風潮が当時はあったと思います。最近は、胃瘻はそれほど積極的には勧められなくなってきているようですが、果たして「長生きすることが良いこと」なのかを、自分なりに考えていきたいと思います。

何が正しい事なのかはわかりません、いまの考え方が今後変わるかも知れません。様々なことを経験しながら、人は変わっていきます。そしてそれはそれでいいと思っています。いろいろと考えながら歳をとるのがいいと思いませんか。

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