院長ブログ(No.165 DNAR(do not attempt resuscitation))|大阪のがん免疫療法(免疫細胞治療)緑地公園駅 内科 北大阪メディカルクリニック

院長ブログ

No.165 DNAR(do not attempt resuscitation)

2022年08月28日

「日本救急医学会」では、「DNARは患者本人または患者の利益にかかわる代理者の意思決定をうけて心肺蘇生法をおこなわないこと」とあります。「DNARとは尊厳死の概念に相通じるもので、癌の末期、老衰、救命の可能性がない患者などで、本人または家族の希望で心肺蘇生法をおこなわないこと」と。

今まで、ご自身が入院したり、ご家族が入院したことのあるかたで、入院時または入院中に「急変時に人工呼吸器を装着しますか?」などという質問をされたことがあるかたがおられるでしょう。そしてそのような話をされたかたは「治して貰おう、良くなろうと思って入院したのに、なんということを聞くのか!」と、不愉快に思われたのではないでしょうか。

私がこの仕事についた30年ほど前は、急変時の救命措置の際には、御家族には部屋の外で待って頂き、挿管、心臓マッサージ、電気ショックなどを行ったものです。そして、救命できなかった際には、御家族に部屋の中に入って貰い、状況説明を行い、死亡確認をしました。
急変した際に、御家族に「挿管しますか」と聞けば、「お願いします」となるでしょう。挿管しなければ目の前で亡くなるわけですから、そんなこと急に言われても、誰しも挿管してもらう事を選ぶでしょう。しかし、挿管し、人工呼吸器を装着したら外せませんから、数日、数か月と経つうちに、「本当に挿管して良かったのだろうか」と悩まれるご家族がおられます。
また蘇生できなかった際には、「せめて最期の時は、(患者さんの)そばに居たかった」「そばで顔を撫でたり、手を握ったり、話しかけたりしたかった」と思うのではないでしょうか。最期の最期に、医療従事者が患者さんを取り巻いて、色々な処置をすることを誰が望んでいるのでしょうか。

先に書いたように、30年も前には、呼吸が止まりそうになったり、血圧が下がったりした際には、医療従事者が患者さんの回りを取り囲んで、色々な処置をしたものです。しかし、それが本当に良かったのか、それで家族は納得したのか、患者さんは納得して逝ったのか、と考えると、そうではなかったのではないかと思うのです。

医師をしているといろんなことを感じますが、その中でも特に思うのは「患者さんの長い人生の最期のときに、その場に居させてもらえることの有難さ」です。普通なら、大切な家族の最期に他人がそばにいるなんてありえないだろうと思うのですが、我々はそばにいることを許されるのです。こんな「有り難い」ことがあるでしょうか。その我々が、患者さんにとって、家族にとって最善のことができているかと考えるとき、救命措置に疑問を感じるのです。

事故だったり、喘息の発作だったり、急性心不全だったりと、今を乗り切れば人工呼吸器が外せる可能性が高いのであれば、積極的に医療は介入すべきだと思います。しかし、命あるものの最期として、呼吸が弱くなってきた、血圧が下がってきた、脈が減ってきたという時に、昇圧剤を増やし、心臓マッサージをすることにどんな意味があるのでしょうか。最期を迎えようとする人の呼吸数が段々少なくなり、血圧が下がり、意識が遠のくのは、穏やかに人生を閉じるための自然な流れなのです。そんな時、医療従事者がよってたかって「蘇生」を行うことは、その人の冒涜にもつながるのではないかとさえ思ってしまいます。

残された御家族に後悔がないようにするためにも、自分の考えは伝えておいた方が良いと思います。日本人は、死についての話をすることを嫌うといわれます。「そんな縁起でもないことを」といわれ、話すことを避けるきらいがあるといいます。しかし、死は避けることができない事である以上、家族との大切な最期の時間を医療従事者に奪われないよう、どのようにしたいかを話し合っておくこと、考えを伝えておくことは大切なことだと思います。

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