院長コラム(No.134 報道する側に良識を)|大阪のがん免疫療法(免疫細胞治療)緑地公園駅 内科 北大阪メディカルクリニック

院長コラム

No.134 報道する側に良識を

2021年10月31日

戦前、天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、畏れ多くてその写真を見ることすらできなかったといいます。しかし今や天皇、皇族にスマホをむけ、写真や動画をとり、それをアップする時代になりました。

先日、秋篠宮の長女が結婚会見を開き、今まで心の奥に秘めていたことを言葉にしました。会見内容について私見はありませんが、皇族のあり方も変わりつつあるのだろうと思います。

さて、長女の結婚相手の司法試験の結果について昨日、本日と報道がされました。それは何の為なのでしょうか。この記事を誰が必要としているのでしょうか。“試験の結果”というあまりにも個人的なことを公にして、それが許されるのでしょうか。

努力すればするほど、その努力の大きさによって人は得るものがあります。大変なことを乗り越えれば乗り越える程、人は大きくなります。その時、すぐには望む結果につながらなかったとしても、努力したことは必ず次につながっていきます。それなのに、それまで異国の地で彼がどれだけの努力をしてきたかは伝えず、残念な結果のみを報道する。果たして、このことは「自分ならして欲しいこと」なのでしょうか。

ここ数年、「寄り添う」という言葉がよく聞かれます。しかし「寄り添う」ことはとても大変なことで、簡単に言えない、簡単に言うべきではない、とても重たい言葉だと思っています。
今回の眞子さんの結婚までの長い道のりの間に流された数々の報道、相手の家族に関する報道、相手の人の試験の合否に関する報道、これらは果たして「相手に寄り添って」なしていることなのでしょうか。とてもそうは思えません。触れられたくないことを、執拗なまでに追い回し、公にすることは、誰の為なのでしょうか。少なくとも、相手の気持ちを考えた行いではないことは確かです。

一生懸命に努力した人は、他人を責めません。貶めるようなことはしません。あら探しはしません。それは、その「努力をした」という過程がすばらしいからです。努力することの大変さを知っているからです。
試合に勝った、試験に合格した、○○賞を貰った、というのは勿論それまでの努力があったからであって確かにすばらしいことです。しかし、試合に負けても、試験に落ちても、賞を貰わなくても、それまでの努力は努力ですばらしいことなのです。

それだけの努力を自分がしたことのある人は、努力をした人の結果がどうであれ温かく見守っていると思います。結果が芳しくなかったとしても「頑張れ」と心の中で応援はしても、人前に晒すようなことはしません。残念な結果を公にするような、残酷なことはしないと思います。

自分が一生懸命努力をした人は、努力した人の「過程」をみますが、「結果」は問いません。
自分が大した努力もしなかった人は、努力した人の「結果だけ」をみて、とやかく言うのです。

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