院長コラム(No.82 生きる意味について)|大阪のがん免疫療法(免疫細胞治療)緑地公園駅 内科 北大阪メディカルクリニック

院長コラム

No.82 生きる意味について

2020年07月29日

先日、ALSの患者さんに薬物を投与し死に至らしめたとして医師が逮捕されました。この事件を受けて、人権について国はどのように考えているのかと法務省のホームページを見ました。そこには、「人権」とは「すべての人々が生命と自由を確保し,それぞれの幸福を追求する権利」「人間が人間らしく生きる権利」とありました。

さて、それでは難病のかたが、「ただ生かされているのは人権の侵害だ」として「死」を選ぶことを希望したとき、その希望を拒むのはその方の人権侵害に当たらないのでしょうか。動く、食べる、話すなどということができない日常の中に「人間が人間らしく生きる権利」はあるのでしょうか。

今回、死を選んだ彼女のSNSの記載の中には、「常に、身体的苦痛・不快を抱え、手間のかかる面倒くさいもの扱いされ、“してあげる” “してもらっているから感謝しなさい”という屈辱的で惨めな毎日がずっとつづく。ひと時も耐えられない」という精神的な苦痛も叫ばれています。肉体的な苦痛だけでなく精神的な苦痛があるのが更に大きな問題です。

「がんばったら良くなる」「今を乗り切れば良くなる」というのであれば、多分人は二年でも、三年でもがんばれると思います。しかし、「悪くなることはあっても良くなることはない」「だんだん○○ができなくなる」という難病のかたに、希望が見えないにもかかわらず “それでも生きていなさい” ”死んではいけません” と我々は言って良いのでしょうか。

今回の事件で、本人が「お手伝いしたい(=安楽死)という(医師の)言葉が嬉しくて泣けてきました」とありますが、”やっとこの拷問状態から抜け出ることができる”と思ったときの彼女の精神的安らぎ、心がふわっとほぐれて暖かく広がっていく感じを、ほんの少しですがわかる気がします。彼女は「屈辱的で惨めな毎日がずっと続く」「望まないのにこんな体で無理やり生かされているのは人権の侵害」「患者を生かすことをなぜいつまでも医療者は使命だと思っているのだろう?」と投げかけています。

我々は何のために彼女に「死んではいけない」というのでしょうか。「命を絶つのはいけない」と言うのは簡単です。そのことに誰も公には反論しないでしょう。しかし、本当に彼女の苦しみをわかろうとしたうえでそう言っているのでしょうか。

難病に苦しむ人の人生を他人が「もっとがんばれ」「生きていることが素晴らしいのだから」と言えるでしょうか。もちろん、難病であっても本人が「生きる」という事を選んだのなら、我々は支えるべきです。しかし、本人が「もう終わりにしたい」というものを「だめだ」という権利は、まわりの人間にはないのではないでしょうか。同じ難病のかたでもそれぞれ考え方は違って当然であり、皆同じような生き方を選ばなければならないことはないでしょう。

医療は痛みや苦しみ、不安などを取ってあげるものです。しかし今の医療でそれができない時、本人の意思に反して、生きさせていることが本当に正しいことなのでしょうか。だれも逮捕されるような事はしたくないから、難病の患者さんの訴えに真剣に耳を貸さない。本当にその人の苦悩と向き合っていない。我々は何の為に生きているのでしょうか。

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